雨の中の涙のように・・・

雨の中の涙のように、私の記憶もみな時と共に消えてしまうのか? そうなる前に日本内外問わず私の愛する漫画や映画、小説について書き残しておくブログ。

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違う形で出会っていれば…『Dearフランキー』

あらすじ見た感じでは少し不安もあったのだけど、そういう所も上手く飲み込んでくれた。誰が見てもあまり外れないでしょこれは。

Dearフランキー(ショーナ・オーバック)

★★★★



宮崎駿は「ナウシカの胸は死んでいく人たちをその胸の上で抱きとめてあげるために大きい」と言った。フランキーの母親の胸もその包み込むような優しさを表すように大きい。

フランキーとその母親リジー、祖母は逃げ出すように頻繁に引越しをしていた。そして今度はある海辺の街に引っ越すことに。
実はフランキーの父親は暴力的で、父親から見つからないように引越しを繰り返していたのだ。しかし当時まだ幼かったフランキーはそのことを知らない。リジーは父親が船乗りだからフランキーに会いにこれないのだと嘘をつき、父親と偽って彼と文通までしていた。
そんな時、偶然父親が乗っているということにしていた船が彼らが住む街に停泊することになった。リジーはフランキーを傷つけないために、一日だけ彼の父親役をしてくれる男性を探すのだが…。

このあらすじを見ると、母親は愚かじゃないかと思いません?私は最初そう思っていたのだけど、話が進むにつれて印象が変わってきた。多分この愚かなほどわけ隔てなく包み込む優しさが母性なのだ。その意味で、この家庭が理想的だとはいえないかもしれないが、リジーは一つの母親の極みであるとは思う。
そしてそこに一日だけだが、父親が現れる。この父親代わりの男性がすごくいい。守るのではなくて、育てるのが父親なのだ。彼とフランキー、そしてリジーを見ているのは何とも楽しかった。

でも終わりが近づくにつれてこれは続かないからこそ疑念が生まれてくる。これでいいのかと。
結末で、全部そんな思いは消えてなくなった。少年はいつまでも少年ではない。いつの間にか私もリジーの目を通してフランキーを見ていたのだけど、いつまでも守られるだけの存在ではいられない。

それでも彼の手紙は届くことはない。
そして思う、やはり違う形で出会えたのではないかと。

イギリス映画はやはりどこかアメリカ映画と異なる。そのセピアな雰囲気がすごく叙情的で私は好きだ。
リトルダンサー、遠い空の向こうに…また一つイギリスの少年ものの傑作を見ることが出来た。
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