雨の中の涙のように・・・

雨の中の涙のように、私の記憶もみな時と共に消えてしまうのか? そうなる前に日本内外問わず私の愛する漫画や映画、小説について書き残しておくブログ。

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かつておれだったものの中に…『おれの中の殺し屋』

初ジム・トンプスン!

4594049621おれの中の殺し屋 (扶桑社ミステリー)
ジム・トンプスン 三川 基好
扶桑社 2005-05

by G-Tools
★★★★


 
 エド・ブルベイカーのクライム・コミック、Criminalを読んでいて暗黒小説を読んでみたくなったので手にとってみた。ジム・トンプスンは暗黒小説の巨匠で、1952年に発表された『おれの中の殺し屋』はその代表作ということ。最初はエルロイのLA四部作がブラック・ダリアで止まってるので続きを読もうと思ったのだけれど、あのシリーズは気力と体力の消耗が半端ないよなあと。

 この『おれの中の殺し屋』の主人公は今で言うサイコパスってことになるのだろうか。とはいえそこには冷徹な思考や計算はない。少しだけ愛想のいい典型的な西武の保安官。優しく、愛想がよく、のんきなルー・フォード。ここ20年ほどずっと芝居をしてきたルーの仮面はある事件をきっかけに剥がれ始める。彼の中にいる-いや、彼だったものの中にいる殺し屋は彼がにっちもさっちもいかなくなった時に顔を出すのだ。

 軽妙な文章に、時に滑稽なほどの口汚い会話が挟まれるものだから、とにかくさくさく読まされた。「そりゃあ、あんた、簡単なことだよ。きんたまを木の切り株に釘で打ち付けておいて後ろに宙返りするくらい簡単なことだ」なんてね。そんな台詞のオンパレード。
 いや、軽妙なのは文章だけじゃないんだよなあ。引き起こす暴力的で残酷な殺人とは対照的に、ルーはあまりに場当たり的に、そして愉快そうに人を殺していく。しょうがなくてやっているわけじゃないのだ。それこそが彼の本当の顔なのだから。ようやく本当の自分に戻れることがとにかく嬉しいのだから。

 でもこの小説はただのサイコパス小説じゃあない。もっと何かやばいものだ。読んでいて私が思い出したのはディックの『スキャナー・ダークリー』とキューブリックの『時計じかけのオレンジ』だった。
 スキャナー・ダークリーが狂気に共感するありえない小説だったように、このおれの中の殺し屋はルーの殺人衝動に共感してしまう小説だ。売春婦を殴り殺す陰惨な場面でルーと共に興奮を覚え、ルーにハメられて殺人の罪を着せられようとしている浮浪者の動揺っぷりは確かに滑稽だった。それは時計じかけのオレンジを見ている感覚にとても近くて…。とにかく暴力が愉快で、楽しそうで、そしてそんな暴力に惹かれている自分に気づいてしまうってことだ。やばいよなあ。

 ルーが言う“あんた”は私たち読者だろうか、それとも神かもしれない。彼は狂った世の中に中指を突きたて、唾を吐き、そして“あんた”も同じなのだと叫びながら破滅していく。それは確かに本当で、人は仮面の裏に何かを隠しているのだろう。多分暗黒小説と呼ばれる小説の中には、『おれの中の殺し屋』よりもずっと暴力的で残酷な作品もあるのだと思う。でも自分の中に、そして他人の中に潜む暗黒さを否応となく意識させられるという意味ではここまで寒気がする小説も中々なかった。スティーヴン・キングが熱く語っているように、とんでもない作品だぜ本当に。
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